
どうも! らふ男です
前回、大学入学から2年生の終わりまで書いてきました。
今回は夢だった海外放浪の旅の中で印象に残っている出来事について書いていきたいと思います。
前回までの記事はこちら↓




海外放浪の旅のルール
その1 観光名所や名物などは調べず、最低限の情報だけで放浪する
次に行く国や街の情報は危険がないかなどの最低限の情報だけ調べるようにしました。
ガイドブックやネットの情報を入れてしまうとどうしてもフィルターがかかってしまい、自分の感覚で行動ができないと思ったからです。
それに事前に集めた情報が多いと現地の人に聞いたりする機会が減ってしまって放浪の意味がないと思いました。
このルールは結果的に一番よかったなと思います。
この旅で自分の知らない世界をこれでもかってくらい体験することになります。
その2 1週間ごとに宿を変える
宿を変えれば景色が変わります。
景色が変われば新しい経験ができる。
なのでこのルールを作りました。
その3 この旅は散歩!
これは気持ち的なところです。
どうしても海外に行くと特別なことをしている気分になってしまって、何か変わったことをしたいと思ってしまうモノです。
「この放浪の旅は自宅コンビニに散歩しに行くのと同じ」
そんな気持ちで歩こうと思いました。
海外放浪の旅で衝撃の出来事
「日本で言うところの〇〇だ」と無意識に置き換えていた自分の価値観が通じなくなる
海外を放浪して数週間。
まだ旅のドキドキ感が抜けていませんでした。
最初はアジアを回っていろんな出来事に巡り合うことができました。
その度に「これは日本で言うところの〇〇だ」と無意識に元々自分が持っている価値観に置き換えて考えていたんだと思います。
麺類を食べていたら「日本で言うところのうどんかな」
有名なバンドを紹介されて「日本で言うところのミスチルかな」
時刻表通りに発車しない電車で「日本でもバスは時刻表通りに来ないしな・・・」
タクシーに乗って移動していたら途中で他の人の乗ってきた「日本で言う・・・?」
激安ホテルに泊まっていたらホテルのスタッフから「今来た客があんたより金出すって言ってるから出てって」と言われ「・・・・」。最終的に相部屋にされました(料金はそのまま)。
自分の価値観は通用しない。
そう実感しました。
そして自分の価値観を捨てるのは大変なんだと知りました。
かっこいい馬車タクシーからの射撃場からの恐喝
ホテルに荷物を置いてそのまま街を散歩していると、めっちゃかっこいい馬車が停まっていました。
僕は持っていたデジカメで写真を撮っていると馬車の運転手から「これは馬車タクシーだよ。かっこいいだろ?乗ってみなよ。写真撮ってやるから。」と言われました。
僕は馬車に乗ってデジカメを運転手に渡して写真を何枚か撮ってもらいました。
写真を撮ってもらい礼を言った時でした。
運転手は馬車に乗ってそのまま動き始めました。
「ストップ! 止めてくれ!」と言いましたが「いいところがあるんだよ。連れて行ってやるよ。」
今だったら無理矢理にでも止めて降りますが、その時の僕はそれができず馬車は走り続けました。
10分くらい走ったと思います。
馬車は裏路地に入ると街の雰囲気が変わり、建物はボロく人通りも少ない道になりました。
馬車が建物の前で停まると運転手が「ここだよ」と行って馬車を降りました。
停まった建物には看板があって、拳銃が斜め上に2丁交差しているイラストが書いてありました。
「ここは射撃場だよ。撃ってみたいだろ?」半ば強制で中に入れられました。
「おれ終わったー」と思いながら中へ。
射撃場には拳銃と人型の的が並べられていました。




運転手の他に数人の男がいて、僕に拳銃を渡しました。
「あの的を撃て」
言われるがままに銃を打ちました。
10発くらい撃ったと思います。
打ち終わった後運転手が言いました。
「楽しかったかい?これ代金ね」
日本円にして約4万円。
出入り口には払わないと出さないぞと言わんばかりに銃を肩に持った男が塞いでいて、払うしかありませんでした。
でもそこまでのお金を持っていなかったのでそのことを伝えると「銀行に金はあるのか?」と言われました。
海外用にシティバンクの口座にお金を入れていたので、銀行に行けばあると伝えるとまた馬車に乗り今度は見張り役なのは射撃場にいた男の1人が横に座って銀行まで連れて行かれました。
銀行に着いてお金を下ろして外に出ると2人が待っていて言われた代金を渡しました。
銀行の前には人もかなりいたのでこれで解放されると安心しました。
そして馬車の運転手が最後に一言「チップはくれないのかい?」
「ノーサンキュー」
なんでサンキューって言ったんだよ・・・
でも僕の精一杯の抵抗でした。
「OK!シーユーアゲイン!」と言って2人は馬車で去っていきました。
二度と会いたくない。
この出来事は旅を始めて1ヶ月くらいのことでした。
僕のは自分の身は自分で守らなきゃいけないと実感しました。
今になって思うのはまだ優しい恐喝だったと思います。
連れて行かれてそのまま身包み剥がされる可能性もあったので。
ちなみにその後射撃場の相場を調べると大体1万円くらいでできたみたいです笑
恐喝というか・・・ぼったくりって言った方がいいのかな?
でも僕にとってそれ以降の旅を成し遂げる洗礼の授業料だと思うことにしました。
孤独との戦い どれだけ人に支えられてきたか思い知らされる
「海外を放浪するなんて羨ましい」
最初の頃は孤独との戦いでしたよ笑
「誰も自分のことを知らない、言葉も通じないところに行ったらどうなるか知りたい」が今回の旅の目的の1つでした。
想像以上に孤独がすごかった。
話す相手と行ったらホテルの受付と買い物した時の店員だけ。
マジ病みそうになりました。
外に出ても人に話しかける勇気もなかったし、誰に話していいのかもわかりませんでした。
お金取られた後だったので尚更・・・。
これまでは家族、施設、大学、バイトなど同じ場所にいたり同じ目的を持った人が集まる所にいたんだなと実感しました。
そして周りの人との何気ないコミュニケーションで支えられてきたことも。
そこからどうやったら人とコミュニケーションを取ることができるのかを考えました。
大学生活の経験で飲みの場に行けば、お酒も入って話しやすいなと思いました。
その日から宿の近くにある飲み屋に行くようになりました。
テーブル席よりもバーカウンターや立ち飲みの店の方が知らない人と話すきっかけが生まれやすいんじゃないかと自分なりに考えました。
最初は持っているビール瓶で乾杯だけ。
チーン。
これだけでもコミュニケーションが取れたような気がして楽しくなりました。
乾杯していると英語で「どこから来たんだい?」と話しかけられました。
「日本だよ」
「へー日本なんだ。何しにきたの?」
「放浪の旅をしているんだ」
「いいね!いい旅を!」
そう言って離れていきました。
会話が続かない。
次の課題は自分からも話をすること。
でも何を話したらいいのか・・・
質問をしてみることにしました。
「何飲んでるの?」
「それおいしい?」
「名前は?」
相手から答えが返ってきたけれどそれで終わり・・・
コミュニケーションって難しい笑
でもやってくうちに知らない土地の知らない人とのコミュニケーションを取るコツがわかってきました。
相手に興味があること、自分を知ってもらうこと、共通の話題を作ること。
ここのポイントを掴むと話が続きました。
流れとしてはこんな感じです。
1、話すきっかけを作る(乾杯とか)
2、質問をする(名前は?何飲んでるの?)
3、答えに反応する(よろしくね! 美味しそうだね!)
4、自分の話をする(僕はらふ男って言うんだ。この土地の美味しいモノに興味があるんだ)
5、共通の話題を話す(明日この辺を散策しようと思っているけれど、どこかいい所知らない?)
この流れは大体どの国でも通用しました。
知らない場所での楽しむなら必要なスキルだと思います。
そして後に営業マンして働く時に大きな武器の1つになっていきます。
まとめ|経験から得た知識ほど大きなものはない
この記事で書いたことは、その時点で直接社会不適合者だった僕がラクになることはありませんでした。
ただ、数年経ってこれらの経験が自分らしく生きていくのにかけがえのないモノになっていきます。
今だから言えることかもしれませんが「経験から得た知識ほど大きなものはない」です。
これから社会に出た時の記事を書いていこうと思いますが、壁にぶち当たった時にこの記事で書いたことが登場します。
そしてなんとか壁を越えることができました。
あと生きていて怖いモノがなくなりました。
次回海外放浪中に僕の生き方を変えた人たちの出会いについて書いていきます。
少しでも興味があれば遊びに来てください。
それでは。



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