社会不適合者のぼくがラクに生きていけるようになった理由Vol.2|大学生活、アルバイトと海外放浪の準備

社会不適合者のぼくがラクに生きていけるようになった理由|大学、アルバイトと海外放浪の準備
らふ男

どうも! らふ男です!

前回の記事では社会不適合者の僕が学校に行かなくなってから大学に入るまでの話をしました。

今回はその続きを書いていきます。

高卒認定試験を取得して大学受験に合格、大学の入学からスタートです。


一つ前に小学校〜高校の年代のことを書いた記事もあります。

こっちから読んでくれると嬉しいです。

記事はこちら↓

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目次

大学入学|想像していた学生生活とはかなり違った

「どこ高出身?」「高校行ってないよ」で触れてはいけない人になる

入学から講義が始まるまでの期間、いろいろな説明会を受けました。

毎回横に座る人はまったく知らない人ばかり、他の学生も同じ感じで会話のネタとしては出身校の話くらいですよね。

僕の返事は「高卒認定取ったんだ」「学校行ってないんだ」「ひきこもりだったんだ」この3つの文章しか選択肢がありません。

聞いてくれた人からすれば関係を作るありふれた話ですが、予想していない回答ですよね笑 想像通りなかなか知り合いになるまでの人はいませんでした。


僕の行っていた大学では選択科目の他に、週に1回集まる20人くらいのクラスがあったので、そこで繋がりを作ればいいやと思いました。

あと大学といったらサークル。 海外を旅したい夢はこの時1番やりたいことだったので、旅行サークルに入りました。

2〜3ヶ月したら自己紹介期間も終わり、なんとか他の学生とも交流を持てるようにはなりました。


ただ大学の授業でまた小学校と同じ気持ちが生まれてきてしまいました。


大学は自発的に行動して勉強できる場所だと思っていた

大学に入った理由は2つあります。

日本の社会では最終学歴を見られるので、大学を出ておけば就職しようと思った時に不登校だったことが障害になりずらいだろうと思ったこと。

もう一個は、小学校〜高校は知識を得るインプットの場所、大学では得た知識を使って何かを作ったり発表したりするアウトプットする場所と考えていました。

就職についてはある程度想像通りの結果になりました。

けれども後者は想像とはだいぶ違く、小学校に感じた疑問がまた出てきました。

講師の言った通りにしないといけないし、ノートの取り方も指定されました。


卒業して思うことは大学は行かなくてもいい

大学では確かにたくさんの専門知識を得ることはできました。

けれども社会に出てみて感じたことは勉強したことと現実の差です。

この後大学以外のことについて書いていきますが、僕に取ってはアルバイトや大学以外でのコミュニティでの成長の方が大きな影響を与えてくれました。

そして大学以上に勉強しました。


もちろん大学に入ったことで良いこともありましたが、もし当時の僕に戻れるなら大学に行く選択はしなかったと思います。

自分が興味を持ったことをやり続けた方が楽しく、自分の求めた結果もついてきたので。


これは個人的な意見ですが「大学に入れば安心だ」という考えはあまり正しくないと思います。

大学に入らないと手に入らない知識や資格のために入るのであれば良いと思います。

それ以外のことは大学じゃなくても手に入ります。

大学でのサークル活動は楽しそうですが、SNSなどを利用すればそういうコミュニティに入ることはできます。

自分の人生を考えるのであれば、大学に入ることは数ある中の一つの選択肢としておくくらいが良いのかもしれません。


大学以外の生活|海外に行くためにアルバイト、たくさんの人と出会う

20歳になったら海外放浪の旅をするために|目標金額は200万円

施設にいる時から少しずつお金を貯め始めました。

大学に入ってからは週に4〜5日は夜アルバイトをしました。

20歳なったら休学して海外を旅することを決めていたので、空いた時間は全てアルバイトをしていました。

お金を貯めることも目的の1つですが、不登校ひきこもりだった僕は「社会をもっと知りたい」と考えていろいろな仕事を経験したいと考えていました。

居酒屋と収入が良かったのでパチンコでアルバイトを継続してしながら、短期でコールセンターや引越しの仕事などをしました。


両親の離婚もあって援助は多少受けていましたが、生活費のほとんどはアルバイトで稼いでいました。

学生生活を送りながら、生活費と海外に行くための貯金をするために稼ぐのは時間的に大変でした。

けれども施設での北海道旅行に行く時のばぁちゃんとの出来事、この経験が原動力になりました。

「自分がやりたいと思ったことは自分でなんとかする」

当たり前のことかもしれませんが、僕はばぁちゃんとのことがあったので迷いなく行動し続けました。

ばぁちゃんとのやりとりを書いた記事は「ここ」をクリック。


「陽キャになって大学デビューしたい」からの撃沈

アルバイト以外の時間はいろいろな人にあったりコミュニティに参加しました。

「大学デビュー」を目指して笑

まずは大学生らしく飲み会に参加。

大学1年生が飲み会に参加していたことは気にしないでください。もう時効だと思っているので。


当時流っていたmixiのコミュニティから、いろんな大学の学生が集まる飲み会に参加しました。

最初に参加して飲み会では話すことができずに撃沈。

これまで施設の人や家族としか話してこなかった僕は多分コミュ障でした笑

しかもうるさくて自分のことしか話さず人の話を聞かないめんどくさいヤツ。


大学デビューをしたい僕は女の子に話しかけに行っても会話が続かず、飲み会参加者の多くが体育会系出身だったので男性のノリにもついていけず。

後半は一人で飲んでいました。


帰りに少し話た女の子に「今日はありがとう」とだけ言いにいきました。

するとその女の子から「らふ男くん、服とかダサいよ」

「・・・・・・・・・・」

メンタルブレイク!笑


まぁ当時の僕に今の僕があったら同じこと言いますよ。

ピチピチのタンクトップに背中にミッキーのイラストが入った元が白の黄ばんだ古着のジップパーカー。

それを三分の一だけ閉めて肩出しファッション。

髪型は天パが首ぐらいまで伸びてもっさりしているのに、ハードワックスでV系っぽくしようと無理やりセット。

飲み会が終わることには湿気も入って毛先は肌に張り付いて、トップは天パキノコ・・・

だせぇ・・・

この記事を書くために見てみたんですけど、速攻で捨てました笑

大学デビューは失敗に終わりました。


そこからは努力の日々。

最初は飲み会に参加していた人のファッションや会話の仕方などを観察しまくって真似ました。

そうしていくうちに少しずつ会話ができるようになっていきました。

そして仲良くなった人にどういう服を買っているのか、どうやって会話しているのかなどを聞きまくりました。

そんな僕が面白かったのか、ファッションやトークを教えてくれて女の子との会話が上手く行った時は乾杯。

「これが大学デビューかぁ」とか思いながら楽しみました。


大学2年生が終わると同時に休学|不足金額を2ヶ月で稼いで海外へ

休学中も学費がかかることを知らなかった|人生初めての交渉

大学2年が終わりその年の5月に20歳になる僕は海外旅行に行くための目標金額200万がもう少しで達成できそうでした。

なので4月から休学し2ヶ月間アルバイトをしまくってから海外に旅たとうと思いました。


まずは大学に休学届を提出しに。

ここで思わぬトラブルが・・・。

教務課の担当者に休学届を出しに行くと「休学理由のヒアリングと説明をする」とのことで応接室に通されました。

最初に説明を受けたのですが、僕の通っていた大学では休学中も学費の約半分の費用を支払わなければいけないと言われました。

学費が大体年間120万円だったので、休学して支払う金額は60万円。

せっかく海外に行くのに貯めたのに・・・


ただ受け入れるのはイヤだったので、ここから教務課の担当者に交渉開始。

「1年間休学して復学後、残りの2年間は普通に通うのにどうして休学中にもお金を支払わなければいけないのか」と質問しました。

教務課からは「それが決まりなので」と・・・

決まりと言われても負けてられません。ここで賭けにでました。

「僕はここの大学に在学しているので、支払ったお金がどのように必要なのか説明を受ける権利があると思います。休学中に支払うお金で僕がどのようなメリットを受けることがあるのか教えてもらえますか?」

正直そんな権利はあるのかないのかも知りません。

でも海外を旅するお金を削りたくなかったので、引き下がるつもりもありませんでした。

すると教務課の担当者の表情が変わりました。

「ちなみに・・・どのような理由で休学されるのですか?」

もしかしていけるのか?僕は答えました。

「休学中に海外を旅していろいろな人は文化に触れて見聞を広めたいと考えたからです。」

「それは素晴らしい! そういうことでしたら休学中の費用については多少減額できるかもしれません。 追って連絡します。」

そう言われて応接室を出ました。

結局その後大学側からは連絡なく、休学中の費用も請求されませんでした。


この話で何を言いたいのかというと、僕はこの一件で「この社会で決まっていることは絶対なのではなく、思っていることを伝えて交渉することが生きていく上で大切だということを学んだ」ということです。

そして今回の交渉は、もし僕の性格が人に言われたことをそのまま受け入れる人であればできなかったということ。

大学に入ってからも社会不適合者と思っていた自分が、もしかして自分の性格も使いようなんじゃないかと思うようになりました。

この仮説が海外を旅している間に自分の中で確実なモノになっていきます。


初めての営業はiPhoneの店頭の特設ブースでの販売|社会不適合者の感覚が武器になる

海外に行くまでの2ヶ月間で一番稼げる方法はなんなのか。

これまで時給の仕事をしてきたので、2ヶ月フルで働いて稼げるお金を計算しました。

目標金額の200万円は達成できそうだけれども、どうせならもっと稼ぎたい。

調べてみると歩合制の営業なら仕事した分だけ稼げることがわかりました。


教務課との一件でトークで人を納得させることに興味を持った僕は、営業の仕事を探しました。

当時softbankがiPhone3Gを大手キャリアの中で初めて商品として扱い始め、家電量販店や百貨店では特設ブースが設置されて客引きを行っていました。

僕はiPhoneの販売代理店の会社に入社しました。

そこで営業の楽しみを教えてくれる社長と出会います。


入社してから知ったのですがその会社は創業してまだすぐの会社で、社長も元々iPhoneやウォーターサーバーの販売の会社にいたのですが独立したそうです。

従業員は僕を含めて3人だけ。

ある日社長に採用した理由を聞いたら「らふ男ちゃん群れるの嫌いでしょ?それが人と違う感じがして面白そうだったから」でした。

大学に入ってからしたバイト先では同調圧力が強く、僕も社会で生きていくためには合わせることも必要なことだと受け入れ始めていた頃でした。

でも社長は群れないことを肯定してくれて、しかも面白いと言ってくれました。

さらに「人と違う感性を持っていることは営業マンにとって大切なこと。正解を求めている営業マンは売れないから」と言われました。

正直この時はあまり理解はできませんでした。

けれど今になってみると理解できます。


特設ブースでのiPhone販売の方法はティッシュを配って受け取ってくれた人に「iPhoneって知ってます?」と声をかけ興味を持ってくれた人に説明をして良ければ契約をするというモノでした。

社長から指示というか言われていたことは「らふ男ちゃんの好きなようにやっていいよ。断られるのは当たり前だし最初は凹むと思うから、らふ男ちゃんのことを好きになりそうな人に声をかけた方がストレスなくていいかもね。」

自分のことを好きになってくれそうな人・・・僕社会不適合者ですけど笑

そう考えているのを感じたのか社長は続けました。

「飲み会とか行って全員がらふ男ちゃんのこと好きになることないでしょ? でもらふ男ちゃんのことが良いと思って一緒に飲んでくれた人もいるよね? なんとなくどんな人かパターン決まってない?」

僕が飲み会で一緒に飲んでいた人のパターン・・・

みんなで同じように楽しめる人よりも、飲み会は好きだけれども合わせるよりも集団でいても自分流に楽しみたいと思っている人が多かったような・・・と考えていました。

社長が楽しそうな顔をしながら「とりあえずそんな感じの人が歩いてたら声かけてみなよ笑」


そこからお店を歩いている人を観察するようになりました。

飲み会の「らふ男君、服とかダサいよ」から人を観察するようになって、ファッションや立ち振る舞いでどんな性格の人かを考えるようになっていたので自分を好きになってくれそうな人を見つけるのはそれほど難しくありませんでした。

そして「あ・・・この人飲み会だったら自分と話が合いそう」

ティッシュを持って声をかけに行ったらすぐに仲良くなってとんとん拍子に契約まで。

なんだこれ!

遠くで見ていた社長が「らふ男ちゃぁぁぁん。グッジョブ!!」


なんとなく感覚を掴んだので、同じようにやっていくと面白いように契約に繋がりました。

「らふ男ちゃん、やっぱおもろいは!」

続けて「そろそろ自分が仲良くなりたいと思った人とも話せそうじゃない?」

次は「自分のことを好きにならなそうな人とも話せそうじゃない?」

最後に「自分が嫌いな人とも話せそうじゃない?」


最後の方では声をかけた人に合わせて話ができるようになり、契約件数も比例して増えていきました。

20歳になるまで2ヶ月間と短い期間でしたけど、この会社での経験が自分にとって大きなモノになりました。

海外に行くことは雇用される時に社長に伝えていたので退職する時には「らふ男ちゃぁぁん、またね!」と送り出してくれました。

社長とは今での定期的に連絡を取っていて可愛がってもらってます。


20歳になっていよいよ放浪の旅へ!

20歳になったら海外を旅する。

そう思ったのは15歳の時でした。

それから5年が経ち目標の200万円まで貯まりました。


僕の目的は海外を散歩する。

行き先も決めていませんでした。

旅行代理店に電話して「2〜3日以内の海外行きの飛行機で、一番安い片道チケットください。」

電話口の担当者は戸惑った感じで「少々お待ちください。」と保留に。


「2〜3日以内で一番安い片道航空券は上海行きの便になります。」


ここから夢だった海外放浪の旅スタートです。

次回は海外放浪の旅について書いていきます。


らふ男はれ美

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プロフィール

この記事を書いた人
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〜らふ男〜


特徴:髭
国内や海外を放浪したり、気になったらすぐにやりたくなっちゃう落ち着きないマン。
・経歴
不動産10年
個人事業7年
・資格
宅地建物取引士
ITパスポート
ビジネス実務マナー検定
普通自動車免許

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〜はれ美〜


特徴:茶色い眼、体が柔らかい
2022年に東京から仙台へ移住。
新しいものやこと、わいわいすることが大好き。
・経歴
ワインバル勤務12年(店長3年)
・資格
MOSエキスパート(word、excel)
普通自動車免許

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